Paul Rodgersのヴォーカルは非常に伸びやかではあるものの非常に豪快。されどキャリアを増した事からも洗練度が増しており(後程では無いものの)繊細さも加わったもので、表現力豊か。 確かに粗い面がございますが、それを魅力として取り込んだヴォーカルは非常に興味深く、後の”Bad Company”の洗練さとは異なるものでございます。
Paul Rodgers曰く「(Jeff Beck Group時代の)Rod Stewartに憧れていた」という後の回想が理解出来るもの、また某名ヴォーカリスト曰く「Bad Company時代よりもFree時代が好き」という発言も頷けるものでございます。
Led Zeppelinのギタリストでプロデュースを兼ねていたJimmy Page、そして「自分まで個性を強く打ち出してしまえばバンドの音楽性が崩壊するから、一線を退いて他の個性を繋げていった」というアレンジャーJohn Paul Jonesの存在。 それぞれが豊富なセッション経歴を誇るミュージシャンでございますが、ここがバンドの明暗を分けた感がございます。
御存知!Abbey Road Masteringで御馴染みPeter Mewによるリマスターでございます。
Peter Mew特有の音の輪郭をくっきりさせ低音を利かせた感のある音質で(制作当時に生じたノイズ処理等があり)リミックス感があり、幾分現代的な感の強い音質となっております。
内容は言わずもがな。
ラインナップは名手揃い、Paul Rodgers(Vo)、故Paul Kossoff(G)、Andy Fraser(B、P)、Simon Kirke(Ds、Per)となります。
プロデュースはバンド自身とエンジニアを兼ねるかの故Andy Johns(Led Zeppelin、Humble Pie、Delany & Bonnie、West,Bruce & Laing等に制作で関わり、八十年代はHR/HM系プロデューサーとして名を馳せる)となります。
1970年1月1日英国・サンダーランド”The Locarno”(二曲)、1970年9月13日英国・ロンドン”Craydon Fairfield Hall”での実況録音からの抜粋。
そして1971年3月英国・ロンドン”Island Studio”での制作(一曲)となります(シングルリリース楽曲”My Brother Jake””Only My Soul”制作時のアウトテイク)。
プロのミュージシャンを目指してロンドンに現れ、様々なバンドで活動していたPaul RodgersとBlue/Rock系のバンド”Black Cat Bones”に在籍していた故Paul Kossoffの邂逅から始まるバンドでございます。
互いの演奏や音楽性で非常に共鳴した事から自身のバンドを結成を目論み、それぞれのバンドを離脱。”Black Cat Bones”での同僚だったSimon Kirkeを更にスカウト。
そして”John Mayall & the Blues Breakers”に在籍しているものの(金銭に絡む)バンド運営の有り方と音楽性に非常な不満を抱えていた故Andy Fraserが解雇となり、故Alexis Cornerの仲介でバンドに加入しラインナップが確定。
Paul Rodgersが用意したオリジナル楽曲を基にBlue系カバー楽曲を加え独自のアレンジを施し、早速ツアーに勤しむ事になります。
当時はロック音楽の変革期真っ只中。
Blue/Rockの新展開と言う音楽性の新鮮さや全員十代という年齢もあり早速注目を浴び、”Island Record”が白羽の矢を立て契約。活動の合間にデビュー作制作に打ち込む.................という経緯がございます。
(そもそも10月には録音が終わっていた模様でございますが、カバー楽曲”The Hunter”の反響の強さに注目したレコード会社がバンドにその録音を促し12月に録音。リリースのタイミングが遅れる経緯もございます)
されど1stは注目を浴びるもののセールス不振。
その反省に立ち、またRodgers/Fraserのソングライター・コンビの確立もあり音楽性を纏めた感のある2nd”Free”を制作。
アメリカでは前作同様の不振となったものの英国では成功を収め、その音楽性を土台に後にQueen等を手掛けるRoy Thomas Bakerを共同プロデュースに迎え大傑作「Fire and Water」を制作。
シングルリリースされた”All Right Now”の大ヒットもあり、今度はアメリカでも大ヒットを記録しバンドは順風満帆。
されど制作された次作”Highway”がセールス不振。度重なる制作/ツアーと執拗な酷評にバンドは疲弊、Rodgers/Fraserの確執そしてPaul Kossoffの麻薬問題から来る健康問題があり解散を決意。
シングル”My Brother Jake”リリース後、レコード会社は渇望されていたライヴ盤制作をバンド側に提案し了承。制作後、それぞれの活動に去る事となります。
”Free”はBlue/Rockの新展開であり、当時のロック音楽の多様性の重要な一つという感のある音楽性でございます。
当時かのJeff Beckが提唱した(かのJimmy Pageが盗用し”Led Zeppelin”の音楽的アイデアの基となった)「BluesとRock音楽を融合し、衝撃を加えた音楽性」に繋がる感がございます。
されど、Paul Rodgersが持つ英国トラッド系の(ポピュラー系絡む)メロディ感覚が上手く練り込まれており、そこが一線を画す感がございます。
作品制作を経て洗練度が増しポピュラー化が成されていきますが、そもそも”Blues/Rock”たるバンドの音楽性から来るポピュラー化に対する反動もあり、それがライヴに現れている感がございます。
当時のスタジオ技術では残せなかった独特の躍動感に荒さ、勢いがミソでございます。
Paul Rodgersのヴォーカルは非常に伸びやかではあるものの非常に豪快。されどキャリアを増した事からも洗練度が増しており(後程では無いものの)繊細さも加わったもので、表現力豊か。
確かに粗い面がございますが、それを魅力として取り込んだヴォーカルは非常に興味深く、後の”Bad Company”の洗練さとは異なるものでございます。
Paul Rodgers曰く「(Jeff Beck Group時代の)Rod Stewartに憧れていた」という後の回想が理解出来るもの、また某名ヴォーカリスト曰く「Bad Company時代よりもFree時代が好き」という発言も頷けるものでございます。
故Paul Kossoffでございますが...............................
「非常に細い弦を張ったギターをベース・アンプで鳴らす」という特殊さがございますが、表現力は恐るべきもの。
今作録音時は20歳程の年齢でございますから、驚異的。フレーズのセンスも抜群で、後の早い逝去が惜しまれるものでございます。
演奏スタイルが確立してきており、後の陰鬱とした感覚が聴かれる様になっている事がミソでございますが、スタジオでは鳴りを潜めていた1st時の生き生きと非常に弾けた感覚の演奏が聴かれる事がミソ。
Freeの全盛期でPaul Kossoff自身の最盛期という事もあり非常に貴重な録音の感がございます。
創作面の中心たるAndy Fraserがアルバム制作では故Paul Kossoffに対して随分な演奏制約を課した模様で、ライヴではそこから解き放たれた感がございます。
同じ音楽コンセプト感があるかの”Led Zeppelin”といい、ヴォーカルの個性に対する「対」としてのギターヒーローを聴衆が求めていた感があり、Rodgers/Fraserのコントロール・フリーク化が”Highway”の不振に繋がった感がございます。
今作ではPaul Rodgersに対する”対”のギターヒーロー的な個性が強く現れており、この感覚で”Highway”を制作していれば........................という感がございます........................
後々にも制作に関わった故Andy JohnsがPaul Kossoffの死に対し、非常に忸怩たる思いをしていた事が理解出来、また麻薬問題に絡んだ死でもあり、その問題が無ければ..............と悔やまれる才能でもございます。
リズム隊には未だ演奏に甘さがございますが、非常に洗練されてきているもののライヴという事もあり非常に豪快で荒っぽく躍動感溢れるものが聴かれます。
Andy Fraserのフレーズは非常に興味深いもの。Paul Rodgersとバンド音楽性の基礎創造性を担う事があり、それが強く伺えるものでございます。
(但し、様々な音楽性の制作に携わり既にキャリア組であったLed ZeppelinのJohn Paul Jonesの持つジャズ的な客観性とは異なる感覚。Paul Rodgersと対立する事が判る感がございます)
英国では待望のライヴ盤という事もあり大ヒットを記録。
バンドの置き土産としてのみならず、ライヴ盤の大傑作として知られるものとなります......................................
バンドはそれぞれの活動に去るものの、それぞれの活動がままならず、また看板ギタリスト故Paul Kossoffの麻薬問題から来る健康問題がバンド解散の痛手もあり更に深刻化。
Paul Kossoff救済も兼ね、再結成の話し合いが持たれる事となります..................................................
「皆若過ぎた。(故Peter Grantの様な敏腕マネージャーがいなかった事もあるが)Led Zeppelinみたいにはなれなかった」との某メンバーの回想がございました。
(Rodgers/Fraserのコントロール・フリーク化がなく)上手くいっていれば、そしてバンドの結束を固め我慢強くあったなら、そして故Paul Kossoffの健康問題が無ければ......................................との感がございます.................
後の第二回”Woodstock”にPaul Rodgersが自身のプロジェクト”Paul Rodgers Rock & Blues Revue”として参加。
ベース奏者は何と故Andy Fraser!(DsはかのJason Bonham、GはNeal Schon(現Journey、ex-Santana、Schon/Hammer、Bad English、Hardline他)、Slash(Guns"n"roses、Velvet Revolver他))
その後、故Andy FraserがPaul Rodgersに”Free再結成”を提案した事がございましたが、Paul Rodgersは「Paul Kossoffがいないから無理」と拒否。
そもそもPaul Rodgersと故Paul Kossoffとの邂逅から始まったのがこの”Free”でございますが、(作曲にクレジットされる事が少なかったものの)Paul Kossoffの音楽個性がバンドの重要な存在意義では無かったか?
そういう感がございます............................
今作の音造りや音楽性の有り方がアルバム制作で上手く生かされていれば.........................................という感がございます...............................
Led Zeppelinのギタリストでプロデュースを兼ねていたJimmy Page、そして「自分まで個性を強く打ち出してしまえばバンドの音楽性が崩壊するから、一線を退いて他の個性を繋げていった」というアレンジャーJohn Paul Jonesの存在。
それぞれが豊富なセッション経歴を誇るミュージシャンでございますが、ここがバンドの明暗を分けた感がございます。
そして名マネージャー故Peter Grantの存在も.......................
ボーナス曲は待望のライヴ盤未収録の音源。
アナログ盤収録時間の限界があり外された感のあるものや本編収録の別ライヴ・ヴァージョンと非常に興味深いものとなっております。
また本編唯一のスタジオ録音楽曲の別テイクも収録されております..............................Paul Rodgers間違いヴァージョンではございますが...................................................
全盛期Freeのみならず、故Paul Kossoff自体の録音音源は非常に限られたもの。また未発表ライヴは現代のスタジオ技術が生かされている音質。
何をか言わんや、でございます...............................................................
現在ではこの仕様は入手が困難。この機会に是非。
注: